ますい’s diary

子育てと趣味(自転車、酒、書評)など、書けたらいいな。

映画好きの映画

 いわゆる映画好きなコミュニティーに属する友人Aとその仲間たちと、カフェで話した時の違和感について書きたい。
 映画好きと一言に言ってもさまざまな方向性はあるだろうが、やはり「映画好き」はいて、その人たちが好きな映画というものがある。むしろ「映画好き」はこれを見なければいけないと強いられていると感じた。

 過去、友人Aに勧められた映画に『冷たい熱帯魚』がある。妻と見た。大変不評であった。また、『ドラゴン・タトゥーの女』も勧められた。これも妻と見た。これまた大変不評であった。この友人Aは私の親友であり、妻とも度々交流はあったが、この2つの映画を勧めたことで妻の友人Aへの評価は地に落ちた。
 カフェで友人Aにこの件を伝えると「妻と見るもんじゃない」と怒られた。さもありなん。確かにこれらのタイトルは「映画好き」ではない妻と見るものではないのかもしれない。でも「映画好き」がおすすめした映画が、一般受けしないとは、これいかに。
 そのそうな会話をカフェでしていると、常連のお客さんや店主も映画好きであるわけで、妻が好きな映画はどんなの?と聞かれた。そもそも映画をそんなに見ないが、以前、妻は友人と「コナン」を見ていたので、「コナン」と答えた。コナンかぁ…との一同の反応であったが、その後は、ちゃんとコナンの話題もつないでくれる懐の深いカフェである。良いカフェである。

 ただ、非映画好きの映画とは、話題のシリーズ作品であったり、テレビドラマと劇場版であったり、メディアミックスの作品であったり、映画を見るというよりかはタレントを見に行くものである。「映画好き」はえてして、そういった映画は嫌厭しがちである。「映画好き」はエリーティズムに陥りがちである。それゆえ、権威づけられたものには弱く、名作やカルト作をベタに褒めがちではないか。もちろん、あえて大衆作品を斜に構えて褒めることも忘れずに。

 まぁ、それ自体にいい悪いはないが、私としては、もっとニュートラルに映画を楽しみたいなと。それは、私自身が、監督や俳優とかをおぼえれなくて、体系づけて映画を見るのが苦手であるという負け惜しみと、映画を単に娯楽ではなく、メディアとしての力をまだ信じている古典派を気取りたいという思想からである。このような人間にとっては、アマゾンプライムやネットフリックスは大変ありがたく、いままで全く知らなかった映画を発掘できる。ただ、それらの映像配信サービスはもう少し誤配をして欲しい。レコメンドが自分の好きな傾向や全体の人気に押され過ぎている。レコメンドのうち、2,3割はノイズを混ぜて欲しいなと思う。
 えーと、いつも通り、まとまらなくなったので、今回はこのへんで。