ますい’s diary

子育てと趣味(自転車、酒、書評)など、書けたらいいな。

プラネテス 11話「バウンダリーライン」

 アニメって「原作なし」や「原作から乖離」してた方がおもしろい確率高いよね。特に原作漫画、小説をよんでしまった、原作スタート族にとっては。

 特にその最たる例が、表題の話。プラネテスは漫画から入ったが、アニメ版は原作漫画から分岐していく並行世界的オリジナル。

 11話のバウンダリーライン(境界線)は、宇宙開発が進んだ未来ですら、あるいはだからこそなおさら鮮明になる国家格差を描いている。最近はポリコレの関係か、やたら多色人種を画面にひとまとめにしてしまうが、そんな簡単にひとまとめにできないよね、というメッセージをひしひしと感じる。みせかけだけの表面的な多文化主義で満足してはならず、水面下のスティグマを紐解いて、理解する努力を怠ってはならない。いまでも、ときどき、この話は見てしまう。くやしくて、ないてしまう。

 一方、その次の12話はギャグ回であり、少し救われる。いや、本当は12話ではいよいよテロリズムが全面に出てきて南北(上下?)問題が深刻になるのだが、それを覆い隠すギャグ具合が、シリアスを吹き飛ばしてる。

 

・原作と作家性の対立

 逆に、原作から乖離したことで失敗作とレッテルを張られてしまった作品としては『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島細田守監督 2005公開 が思い浮かぶ。細田ファンからは、細田世界観がみられてそれなりに満足ではあろう。だが、ワンピースファンからは、ルフィたちが仲間割れをするというストーリーが受け入れがたく、低評価であったと思う。ワンピースファンはワンピースを見に来たのであって、細田の作品を見に来たのではないという、期待とのズレが低評価の理由かと思う。

 その点、『ルパン三世 カリオストロの城』 はルパンの枠の中で、駿世界を展開しており、成功している。

 まぁ、余暇として映画を見に行く人たちは、奇抜な展開や難解な問題定義をもとめておらず、水戸黄門サザエさん的な期待した通りの展開を求めているということだろうが。

 

・おまけ

少女革命ウテナ

漫画と同時進行で並行世界作品。音楽と様式美の世界。ストーリーはあってないようなもの? でもおもしろい。


EAT-MAN
 こちらも原作漫画からかなり離陸している。アニメって原作がないか、並行世界のほうが、おもしろいよね。98のほうは原作準拠であるが、無印がぶっ飛んでる。
 なお、私の脳力では、ストーリーや美学、意図は読み取れない。ただ「すごい」としてしか感受できない。