ますい’s diary

子育てと趣味(自転車、酒、書評)など、書けたらいいな。

わたしのクラフトビールのはじまり

 私のクラフトビールの原体験はいくつかあるが、そのなかでも一番大きなものは、大学生の頃に、ティルナノーグというビアバーに通い、ベアードビールに親しんだことによって形作られた。

 それまでは、ベルギーやドイツ、イギリス系のボトルビールをいろいろ楽しんでいたが、浜松の駅前にビアバー(ティルナノーグ)ができると聞いて、さそっく訪問した。
当時は1パイント750円で提供されており、クラフトビールとしては当時でもかなり安い部類であり、フード類は少なめのため、軽く1、2杯のむのに適していた。そのため、貧乏大学生であっても、0次会や2次会の会場として、気軽に利用することができた。

 ベアードビールはアメリカ系のエールの作法通り、ホップの香りが主体的な傾向ではあるが、ヴァイゼン、セゾン、ペールエールから、ポーター、スタウト、そしてもちろんラガーまで、全方位のスタイルを有していた。そのころの私は、アンチ日本大手工業ラガーであり、工業ラガーと違えば違うほど良いビール原理主義者であった。そのため最初の頃、ティルナノーグでは、スタウトやポーターを中心に注文していた。

 ただあるとき、気が付いた「重い」と。それまでも、2~3杯のむときは、軽めのヴァイゼンかセゾンから初めて、IPAを挟んで、ポーターかスタウトでフィニッシュしていた。だが、ヴァイゼン、セゾン、ペールエール3連単でも十分によい打線が組めるし、むしろそちらの方が自分の好みではないのか、飲み飽きしないのではないのかと思うに至った。飲み飽きしない、良くも悪くもだらだらのめるビールが私の好みであった。ベアードビール以外でいえば、ギネスやキルケニーが私の求めるビールである。
これが、私のクラフトビールの原体験である。

 その後、10数年が経過し、私の住む三重県津市にはブルワリーがなく、今の私がクラフトビールを飲むのは、旅行に行ったときぐらいになってしまった。

 また、ティルナに行きたい。

ボードゲーム会忘却録(23/02)

・イーオンズ・エンド
協力ゲームは買わない主義なので、やられてもらう専門。
いかにもアメリカンなアートワークのデッキビルド。
協力ゲームは頭いいひとが一人でやればいいのでは問題をどう乗り越えるのかが肝だと思っているが、特に工夫は無かった。
墓地→山札の際にシャッフル不要なのは、プレイアビリティが上がるよいシステムであるが、癖でついシャッフルしてしまい台無し。

スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ パンデミックシステムゲーム
またまた、協力ゲー。
テーマが治療から敵をなぎ倒すことに変わって、NPCを遠慮なくぶん殴れるのは楽しい。
でもやはり、頭いいひとが一人で(ry

・キュビトスCubitos
ダイスビルド型レースゲーム。
今時のゲームらしく、ソロゲーム感強い。
ただ、ダイスを一杯振ることとチキンレースは無条件で楽しい。

・ごいた
恐ろしいほど、俺弱かった。
相手の残りの手札をどう読むのか、わからんかった。
これは、リベンジしたい。

・マスカレード
記憶力の無さに絶望した。
記憶力が必要な場よりも、ブラフで成り立つ場にできると、より楽しそう。

・クー
懐かしい。大学生のころ一晩中やっていた。いまやってもおもしろい。
積極的にブラフしていくと、なおおもしろい。
逆に言えば、ブラフが苦手な人には向かない。小箱だが、人を選ぶ。

・ピクトマニア
忙しいお絵描き系アクション。まぁ、パーティ。

・ティカル
タイルオークション無しのルールでプレイしたが、十分すぎる楽しさ。
そして、終盤の渋さ。終盤のタイルが特別得点が高いわけではないのが、渋すぎるデザイン。
序中盤の積み重ねが功を奏するデザイン。
これも、確保対象。

・フェレータ
続いても激渋枠。役職を選ぶだけではあるが、これは稼働しないカードゲーム枠。
劇的な展開ができそうなルールだが、実際はジリ貧な展開に苦悩するドMゲー。
得点も地道な積み上げであり、フェレータするのも、楽しさというよりかは、苦しさが多い。
大変人を選ぶゲーム。なお、私は大好き。

・THE BOSS
渋い。点が開かない。でも、好きなやつ。

・BIG SHOT
切れ味すごい。セリ+マジョリティの傑作では。
即確保。

・スペースシップ侍
サァァアムライィィィ メッェェェックゥゥゥぅ!
2人だと、綱引きだったけど。
4人でやると、ゲームになるのかな?

ボードゲーム会忘却録(23/01)

・アンドロイドネットランナー
まったく勝てない。
つい過去の経験に頼ってしまい、思考していない。MTGの癖が邪魔してる。

・ワイナリーの四季
来訪者が強すぎる噂の通り、来訪者が強すぎて、ワインを作ってる暇がない。
ただ、来訪者以上に、1VP得るマスが強すぎん?なのに、20VPで勝利は早すぎん?

・TOKAIDO
任意のマスまで進めるすごろく。
イデアは斬新だが、想像以上にスカスカ進み過ぎる。
手なり感が強く、あまり思考する必要がない。
もう少し、インタラクションが欲しいかな。

・エルドラド
デッキビルド型レースゲーム。
デッキビルドやレースゲームはソロプレイ感が強くなりがちだが、それらを組み合わせてもインタラクションがちゃんとあるゲーム。
デッキ圧縮をちゃんとやるという、不文律はあるが、周りのプレイヤーのピックに合わせてドラフトしていくこと、レースの場所取りで妨害できる。

・電力世界
NGOが流通させているので、チェックはしていたが、個人ボード系なので、未購入、初プレイ。
「電力会社」と「もっとホイップを」を一緒にしたシステム。
すごく上手にできているが、それゆえ、ゲームに遊んでもらっている感が強い。

・天下鳴動 
エリアマジョリティのみ焦点を当てて、コンパクトさ、そしてこの勘所の多彩さはすごい。
再販されたら買おう。

ブルゴーニュ(の城)
タイル配置。これも、個人ボード作成系なので、ソロプレイ感が強いので、好みではない。

しかし、ダイスの出目とタイル配置のままならさは、面白い。名作な理由もわかる。
ただ、タイルのサマリーは必須。

・オルレアン
効率よく個人ボードで能力あげていく系。
ソロプレイ感が強すぎてあまり・・・。

・アルルの丘
苦しくなさすぎる。インタラクションや飯の苦しみが欲しい。
単純にアグリゴラでよいかな。

ボードゲームにおいて、ゲームの楽しさ、目的とは何か

 なぜボードゲームをするのか、ボードゲームの何が楽しいのか、ゲームの目的とは何かを考えてみたい。

 ボードゲームとは余暇活動の娯楽であるため、少なくとも楽しいこと、善いことであることを期待されている。それでは、ゲームをプレイする楽しさとは何であろうか。ゲームに勝利すれば、優越感・自己肯定感を得ることができる。あるいは勝てずとも、友人や家族と同じゲームをプレイすること自体が充分に楽しいことが多いだろう。

 だが時として、ボードゲームをプレイしていてもつまらないことがある。それはなぜか。一つはルールの誤認やゲーム自体のシステムの破綻ににより、プレイが成り立たなかったことが挙げられるだろう。ゲームができなかったのであれば、つまらないのは致し方ない。ただ今回問題にしたいのは、同じゲームをプレイしていても、それぞれのプレイヤーがゲームへの楽しみ方、ゲームの目的が異なっているがゆえ、ゲームに歪みが生じつまらなくなってしまうパターンである。

 ゲームへの楽しみ方、ゲームの目的とはどのようなものかを考えるにあたり、カイヨワのゲーム分類を援用したい。 カイヨワは遊び(プレイ)を以下のように分類した。
  競争(アゴン)ex.かけっこ
  偶然(アレア)ex.ダイスゲーム
  模倣(ミミクリ)ex.ごっこ遊び 
  眩暈(イリンクス)ex.ぐるぐる・ジェットコースター

 カイヨワはゲームの分類として、上記4分類を考察したが、この4部類を楽しさの指標として読み替えるとすると、プレイやースタイルの分類、プレイヤーがゲームの何を楽しむかの指標にもなりなると考える。つまり、アゴンが好きなプレーヤーは何よりもトップになることを考えて行動するし、アレアが好きなプレイヤーは運にまかせたプレイに走りがちである。ミミクリが好きであれば、ロールプレイ志向が強くなる。イリンクスは少し考察しにくいが、重ゲーのルール量に押しつぶされる瞬間の恍惚感が近いかな?むりやりボードゲームに当てはめると。

 もちろん、一人のプレイヤーがそれぞれの嗜好を複合的にもっているし、プレイするゲームにおいても変動するだろう。具体的には、私の嗜好的にはアゴン6、アレア2、ミミクリ2がベースであるが、2人ゲームをプレイするときはほぼアゴン10であるし、ロールプレイが楽しいボードゲームのときにはミミクリ要素が高くなる。ただし、同じゲームをプレイしているときに、一人がアゴン10でプレイしており、他方でミミクリ10でプレイされるとゲームが破綻することがある。アゴンからミミクリ見れば勝利を目指していないプレイをされ興ざめであるし、ミミクリからアゴンを見れば勝敗だけにこだわるつまらないプレイとうつるだろう。
 このように、ボードゲームにおいては、同じゲームをプレイしても、同じ楽しみ方、目的をもっているわけではないことに注意しなければならない。このことに自覚的になり、同じ嗜好のプレイヤーが集まることで、つまらないプレイになることをある程度は防げるのではないかと思う。これは、よく言われる「ガチ勢」と「パーティー勢」との対立でもあるが、ガチ・パーティーの中にもそれぞれ嗜好が分かれるので、評価軸はもう少し細かく持ったほうがよいと思う(※カイヨワの4分類もあまり適切ではないと思う)。ただ、最終的には、その場のプレイヤーの嗜好に合わせて、自分のプレイを変えることが、より善いボードゲームプレイヤーであろうが。

 それらのことに自覚的になるために、目的が複数あることが明確なゲームをプレイして実体験とするのがよいと思う。まず思い浮かぶゲームは、スカル(SKULL&ROSE)である。自分が勝つことが目的なのか、相手を倒すことが目的なのか。もちろん、相手を次々に倒して行けば、自分の勝利につながりはするが、自分の勝利を捨ててまで相手を倒すのが好きなプレイヤーも一定いる。スカルはその目的によってプレイが明確に変わり、わかりやすいので、プレイスタイルに自覚的になること、他のプレイヤーのスタイルを測るのに適している。

 また、京都議定書(KYOTO)はボードゲームとしては破綻気味であり、ゲームを成り立たせることを努力しながらプレイしないといけない。そのため、自分の勝利を目指すのではなく、RPG的に楽しまざるを得ない。ボードゲームは勝つことが目的ではないよね、と教えてくれる貴重なゲーム。(※最初からミミクリを前提としているゲーム(ワンス・アポン・ア・タイムなど)はたくさんあるが、KYOTOはアゴンの外装をまっとているが、破綻しているため、ミミクリをせざるを得ない。プレイ中に、その自覚がしやすいゲーム。)

 ゲームの楽しさ・目的の分類は、もう少し有益な分類方法があるかと思うので、改めて考えてみたい。

 また他方、プレイヤーが楽しさ・目的を自覚しながらも、自らのプレイスタイルに縛られてしまう現象も考えたい。たとえば、将棋の居飛車or振り飛車党のように、勝つことへの最善でなしに、戦略(戦術)をきまってしまっていることがある。プレイスタイルに生き方を投影するような要素があることを今後考察したい。

サントリーニ(Santorini)2016,Roxley Games.

  一瞬話題になったが、日本語訳付があまり出回らなかったので、すぐに鎮静化してしまった2人ベストのアブストラクトゲーム

 私は神カードは使わずに、基本ルールのみで遊ぶのが好き。基本ルールのみでも、むしろだからこそ、シンプルで奥深いアブストの世界が垣間見れる。原版が2004年なので、来年に20周年版出ないかな?とおもってら、今年(2023年)にキックスターターCo-op & Deluxe Pantheon Editionやってたのね。でも、このゲームはデラックス版を出すまでもなく、通常版でももっと普及しそうなのに。望みは少ないが、今後日本でも正式な取り扱いがなされるとうれしいな。こういった、アブストっぽくないかわいい外観から初めてプレイしてもらって、ガッチガチのアブストの楽しさを知っていただきたい。

 あー、その意味では、アズール(AZUL)がかわいいふりしてガチマルチ枠の成功者かな。そのわりには、後続が続かないのと、、、そもそもアズールって、ガチに勝ちに行くプレイで遊ばれないのではと思っている。

 アブストや2人用ゲームが好きな人は、相手を殺すこと=自分の勝利であるので、相手への妨害や直接攻撃は当然のことであり、義務である。ゼロサムゲームにおいて、遠慮など介在しえない。しかし、普段多陣営ボードゲームになれている方は、相手の得点をマイナスにすることよりも、自分の得点をプラスにすることが正しいとする思考がなされる。たとえ、相手のマイナスポイントより、自分のプラスポイントが少なくとも。なので、アズールを3人以上でプレイする場合は、やさしい世界(=エンドトリガーを引かずに、得点を伸ばし続ける世界)が発生する。それが、アズールの魅力、普及につながったのかと思う。

 サントリーニは3人でプレイしても、強制的にエンドに収束(無駄な間延びは許されない)していくゲームデザインなので、アズール的なやさしい世界は発生しえない。一方で、サントリーニの3人プレイでは明確なキングメーカーが発生しやすいので、キングメーカー(=勝者を決定するという行為)に自覚的になるという副次的効果がある。この場合の勝者を決定するプロセスでは、やさしさが介在する余地があり、多人数マルチの構造を理解しやすい。

プラネテス 11話「バウンダリーライン」

 アニメって「原作なし」や「原作から乖離」してた方がおもしろい確率高いよね。特に原作漫画、小説をよんでしまった、原作スタート族にとっては。

 特にその最たる例が、表題の話。プラネテスは漫画から入ったが、アニメ版は原作漫画から分岐していく並行世界的オリジナル。

 11話のバウンダリーライン(境界線)は、宇宙開発が進んだ未来ですら、あるいはだからこそなおさら鮮明になる国家格差を描いている。最近はポリコレの関係か、やたら多色人種を画面にひとまとめにしてしまうが、そんな簡単にひとまとめにできないよね、というメッセージをひしひしと感じる。みせかけだけの表面的な多文化主義で満足してはならず、水面下のスティグマを紐解いて、理解する努力を怠ってはならない。いまでも、ときどき、この話は見てしまう。くやしくて、ないてしまう。

 一方、その次の12話はギャグ回であり、少し救われる。いや、本当は12話ではいよいよテロリズムが全面に出てきて南北(上下?)問題が深刻になるのだが、それを覆い隠すギャグ具合が、シリアスを吹き飛ばしてる。

 

・原作と作家性の対立

 逆に、原作から乖離したことで失敗作とレッテルを張られてしまった作品としては『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島細田守監督 2005公開 が思い浮かぶ。細田ファンからは、細田世界観がみられてそれなりに満足ではあろう。だが、ワンピースファンからは、ルフィたちが仲間割れをするというストーリーが受け入れがたく、低評価であったと思う。ワンピースファンはワンピースを見に来たのであって、細田の作品を見に来たのではないという、期待とのズレが低評価の理由かと思う。

 その点、『ルパン三世 カリオストロの城』 はルパンの枠の中で、駿世界を展開しており、成功している。

 まぁ、余暇として映画を見に行く人たちは、奇抜な展開や難解な問題定義をもとめておらず、水戸黄門サザエさん的な期待した通りの展開を求めているということだろうが。

 

・おまけ

少女革命ウテナ

漫画と同時進行で並行世界作品。音楽と様式美の世界。ストーリーはあってないようなもの? でもおもしろい。


EAT-MAN
 こちらも原作漫画からかなり離陸している。アニメって原作がないか、並行世界のほうが、おもしろいよね。98のほうは原作準拠であるが、無印がぶっ飛んでる。
 なお、私の脳力では、ストーリーや美学、意図は読み取れない。ただ「すごい」としてしか感受できない。

Netrunner(NSG) 所感

 半年ほど前から、ネットランナーというカードゲームを始めた。知名度の低さに反し、死ぬほど面白いので一筆したためたい。

 そもそも私のTCG歴は小学生のポケモンカード(第1弾~4弾ごろまで)に始まり、中学~大学の2,3年のころまではMagic:The Gathering(MTG)を中断をはさみながらプレイしていた。マスクス・インベイジョンブロック~ミラディンの頃である。ほとんどスタンダードのみのプレイヤーであり、リミテッドは大会があれば参加する程度で、エクステンデッドはついぞプレイしなかった。

 MTGプレイヤーは年齢層が高く、自分が最年少枠を担当していた。そのため、カードの融通など、周りのプレイヤーから多大な便宜を図ってもらっており、かわいがってもらっていた。今思えば、もらうだけもらって、何もお返しできていなかったなと。もうMTGをすることはないと思うが、別の分野でも、下の世代にお返しをせねばと思う。

 閑話休題。当時はウルザブロックを契機として、MTGプレイヤー数が地方でもふくれ上がっており、頻繁に大会を開いてくれる店やコミュニティが存在し、毎週のように大会に参加していた。また、東海圏でGPや予選会があれば参加していた。大きな大会でマネーフィニッシュはついぞできなかったが、地方の小さな大会では、そこそこ勝てていたプレイヤーであったと思う。そんな思い出があり、TCGは得意だと、自分のことを信じていた。

 社会人になってからは、ボードゲームをやることはあっても、時間的にもコミュニティ的にもTCGからはめっきり離れてしまった。おそらく、今後も本気でTCGをやることはないだろう。しかし、今年LCGとしてアンドロイドネット:ネットランナー(初版)アークライト訳,FFG製をプレイする機会が訪れた。

 ネットランナーのルールや世界観は他のサイトに任せるとして、自分の感覚を記録しておくと、とにかくシビれた。アクションポイント(AP)制かつ非対称のカードゲームであり、ルールに慣れないとか、用語がユニークするぎるとか、初版デッキはカードの強弱が激しいとか、初期障壁は高い。だが、いままでの自分がプレイしたことのあるTCGとは、一味も二味も違ったプレイ感であり、とにかく選択が苦しい。AP制のため、カードは補助であり、あくまでもプレイヤーの行動選択に重点が置かれているゲームであり、常に複数の選択を迫られる。

 MTGなどのTCGは事前に構築したデッキを回すことを意識してプレイしていればよく、うまく回れば勝てるし、回らなければ負ける、というソリティア感が常にあった。特に、自分はステロイドなどのビートダウンやコンボデッキを好んで構築していたので、よりこの傾向が強かった。TCGの良いところは、勝ったら自分の実力、負けたら運ゲーと言えることであるが、ネットランナーは負けたときは完全に自分のプレイミスであると自覚させられる。

 なお、その後ポケモンを20年ぶりに、遊戯王をほぼ初めて遊んだ。ポケモンは①ドローソースがふんだんにあること=事故率が低い。②相手ターンに行動しない。ことから、プレイアビリティが高く、ストレスが少ない。自分のしたいことができる。なお、自分のしたいことをやり切っても、負けるときは負ける。弱点という相性さがゲキ激しい。遊戯王も初期手札5枚+②ドローソースが少ない(選択肢が少ない)ことで、プレイへの負荷(選択)が少ない。MTGはルール量が多いことで、参入障壁は高いが、自分がブン回れば勝つデッキをつくることでソリティアに近いプレイ感にももっていける。

 それらに対して、ネットランナーは相手のプレイを読むことをデザインされているので、ちゃんと相手を見ないと全く勝てない。いままで自分はTCGを得意と思っていたが、そんなことは全くなかった。いままで、私は相手プレイヤーを見て、プレイをしてこと無かったことを、強く自覚した。ネットランナーをとおして、相手のプレイを考えられるプレイヤーに私はなりたい。