ますい’s diary

子育てと趣味(自転車、酒、書評)など、書けたらいいな。

『なか乃』という正しさ

 静岡大学の浜松キャンパスから徒歩2分のところ、浜松市中区和地山に『なか乃』という洋風食堂(ビストロ)がある。大学時代も「なかの」に行こうとは口語でよく話したものだが、正式名称である『なか乃』と書くのは初めてかもしれない。
 ランチは700円(2010年頃当時)で日替わりの定食が出てくる。なか乃はランチだけでも、100回は行ったが、同じランチが出てきたことはない!と言いたいほどちゃんと日替わりである(冬のボルシチなど、季節の定番はある。それがまた素晴らしく、おいしい)。
 ランチは、肉とサラダのプレート+魚プレート+ごはん+味噌汁である。たまに、魚が揚げ物であったりするとワンプレートになることもある。魚は極力毎日仕入れているのだろう、刺身であることも多い。魚以外に貝などであることもある。それを700円のランチとして提供するのであるから、本当に素晴らしい。そしてなにより、すべてがうまい、おいしい。

 すべてうまいのだが、特に揚げ物、サラダ、刺身がうまい。揚げ物は説明不要である、とにかくうまい。

 次に、サラダ。サラダと言ってもキャベツ+αにドレッシングがかかっており、肉料理に添えてあるだけなのだが、とにかくキャベツがうまい。キャベツが文字通りきちんと千切りされており、絶妙な優しとハリがあるという二律背反な歯ごたえを共存させている。そこに、自家製のフレンチドレッシングがすばらしく合う。昨今、700円のランチに自家製ドレッシングを作る定食屋が一体どれだけあるだろうか。夏場のサラダにはキュウリが添えられることもあるが、キュウリはよくある斜め薄切りではない。なんと、キュウリをかつらむきした後、千切りにしているのである。私は3,000円のランチでも、キュウリをかつらむきにしてから千切りにするような、手の込んだサラダを食べたことはない。それにより、ドレッシングと絶妙に一体化し、なにより歯ごたえがキュウリと思えぬほど柔らかく、それでいてしっかりとキュウリのみずみずしい歯ごたえも残っている。この肉料理に添えられた、ただの箸休めのサラダであっても、ひと手間かけることで、食べる者を感動させることができる。
 これが「正しい」料理ということかと、私は学んだ。
 魚料理にしても、刺身のときは、単に魚の切り身を出すのではなく、薬味の玉ねぎやわかめ、大葉、紅たでなどが華を添えている。また、スキ身や端の部分を叩いて、山芋の千切りとともに海苔巻きにしてくれる。これが物凄く絶品なのである。一皿につき1口サイズの海苔巻きなので、一巻きで2~3人分を作れるとはいえ、すごく手のかかった仕事である。

 当たり前のように極薄のキャベツの千切りやキュウリのかつらむき、ドレッシングの手作り、スキ身の海苔巻きなど、これらの手間を惜しまず作るシェフの仕事ぶりが、なによりも凄い。圧倒されるほどの誠実な仕事ぶりである。これらの凄さをおくびにも出さず、淡々と700円のランチを仕上げるシェフに、私は感動した。「正しい」料理を理解した。
 なお、味噌汁はシェフの奥様担当なのか、常に温めているためもあり、概ねしょっぱい。たいへん下町風であり、落ち着く味である。ご愛敬である。
 

 一方、夜は単品でいろいろ頼めるが、食事のみであれば概ね1,000円で足る。もちろん、ワインやビールを頼んで、わいわいやることもできる。

 私と友人Aの夕食コンボはポトフ¥450+コロッケ¥150+ライス¥100である。このセットを50回は決めたと思う。なか乃のポトフとは、なか乃のポトフという料理であり、モツと大根の洋風煮である。マスタードがこの上なく合い、ご飯が進む。

 また、私がなか乃のサラダの凄さについて理解してからは、生野菜サラダ¥300を頼むことが多くなった。繊細な千切りキャベツに芸術的なキュウリの千切り、ちゃんと湯むきしたトマト、わかめ、卵のタルタルなど、そのときどき少しづつメンバーは変わるが、変わらず完璧なフレンチドレッシングがすべてをまとめる。
 そうなんと、¥300のサラダにちゃんと湯むきしたトマトが添えられるのである。正しいことを当たり前のようにやる凄みが、このサラダには含まれている。

 たしかに、店全体のつくりは高級レストランではないし、清潔感が完璧とも言い難い。良くも悪くも大衆に寄り添った洋風食堂である。シェフや奥様がスモーカーであることで、そのためか少し味付けがしょっぱい・濃いめであることもご愛敬である。肉料理のソースは絶品のデミグラスソースから、ちょっと凡庸なカレーソースまで、ブレがあることも確かである。
 ただ、私は、ここで「正しい」食事、「誠実」な仕事ということを学んだ。ランチは毎回新しさとの出会いであり、夜は親愛なる定番メニューとの逢瀬であった。私は転職のため浜松を離れてしまったが、一番の心残りは『なか乃』で食事ができないことである。帰省をした時には『なか乃』に寄るので、どうかシェフにはご自愛を。特に気管支系には。